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ド新規柑橘色(黄色超濃いめ)ジャスミンの心の叫び

B.A.D14周年、過去の発言から振り返る2人の特別な絆。

 

こんにちは。

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

今回は、「B.A.D14周年、過去の発言から振り返る2人の特別な絆。」というテーマで書いていきます。

B.A.Dが2003年12月20日に結成されてから、明日で丸14年が経ち、15年目に入ります。節目の日を前に、中間淳太くんと桐山照史くんの過去の発言の中から、2人の特別な絆を感じて、個人的に響いたものをまとめたいと思い、このテーマを選びました。

 

 

 

まず、Myojoの10000字インタビューの2人の言葉です。

 

照史は、B.A.D結成当時は淳太くんと仲が悪かったこと、2008年に腹を割って話し合い、お互いの長所も短所も考え方も受け入れられるようになった、と話していました。

 

寂しがりやで、1人でご飯を食べるのが苦手な照史が、たまたま1人で食事をしていて、ジャニーズWESTのグループメールに食事の写真を送ったら、淳太くんがそのお店に来てくれた、というエピソードが、私は大好きです。

「お腹空いてたから」としか言わなかった淳太くん。でも照史は、淳太くんが照史の寂しさを見抜いて、「1人は嫌やろ」と言葉にはしなくても、そっと寄り添ってくれたことを喜んでいました。

「いっしょにいてよかった、ありがとう」という照史の言葉には、2人がたびたび口にする、「言葉にしなくても相手の考えていることがわかる」という、特別な関係性が表れているように感じます。

 

 

淳太くんは、10000字インタビューで、照史の性格について分析していました。「あのガタイと見た目なのに、心は繊細な少女みたい。平静を装っているつもりでも、照史が悩んでいたらすぐわかるから、『大丈夫か?』と声をかける」と話しています。

「串カツ事件」のことにも触れていて、理由を説明しても不機嫌なままの照史にイラっとしたこと、最初は「何を言いだすんや」と思っていたけれど、照史が泣いているのを見たら自分も泣けてきて、濱ちゃんに「今日からB.A.D9年目やな」と言われて、2人で抱き合って松竹座の舞台上で泣いた、この話も2人らしくて、とても好きなエピソードのひとつです。

 

B.A.D結成当時の確執や苦手意識を乗り越えて、ビジネス上の関係以上の絆を築き上げてきた淳太くんと照史の間には、言葉では表せない、2人にしかわからない特別な感情があるのだろう、と確信できたインタビューでした。

 

 

2015年のwink upの「ベストコンビ賞」で5位になった時の、淳太くんの言葉も印象的です。

 

ジャニーズWESTでデビューしてから、2人きりで並ぶ機会はあまりないから、それでもまだ『この組み合わせがいい』と言ってくれる人が多いのはすごく嬉しい」と、素直に喜びの気持ちを表現していました。

 

でも、「今はWEST全員が、WEST全員を好きになってほしいという気持ちがある」とも話しています。この言葉を読んで、私がジャニーズWESTを知ってすぐの時は、照史と淳太くんがB.A.Dというユニットを組んでいたことを知っても、グループの中での2人のシンメ感を感じなかった理由がわかったような気がしました。

2人の間にある強い絆が変わったわけではなく、それを表に出しすぎないよう、意識的にコントロールしていたのかな、と思ったのです。デビュー2年目の難しい時期に、グループとして知名度を上げることの重要性を誰よりも理解していた2人だからこそできた決断だと思い、責任感の強さに感動しました。

 

 

2016年のMyojo5月号で、照史は「ジャニーズWESTでデビューして7人になっても、俺ら2人の関係は、やっぱりしっかりしてる」と話しています。それに応えるように淳太くんも、「メンバーと打ち合わせをしていると、照史は俺が言いたいことを、最後まで言わなくてもわかってくれる」と語っていました。

表に出しすぎないようにしていただけで、2人の関係性は時間とともにますますしっかりしていき、「1を聞いて10を知る」ように、わかり合えていたことが感じ取れました。

 

 

2016年のQLAP5月号の2人のインタビューには、ほんとうにたくさんの本音が語られていて、全ての言葉が響いてくるように思えました。

 

ヒルナンデスとレコメンに隔週で出演し始めた頃で、「2人での仕事が増えて、毎日のようにいっしょにいる感じが、楽。7人での仕事の時とは違う楽さがある」と、2人が口を揃えて言っていたのが印象的でした。

隔週での出演でもそう感じていた2人が、毎週いっしょに出演している今、日に日に絆が強くなっているように感じられるのも、当たり前のことなのかもしれない、と思いました。

 

2人の関係性について質問された時に、照史がオセロにたとえていました。「裏と表で正反対の色やけど、1つやん?離せへんやん?」と言うと、淳太くんが「確かに。ええやん!色は全く違うけど重なってるし」と答えました。続けて照史が、「自分がアカンって思ったときに、ひっくり返ったら相方がおって助かる」と語り、淳太くんが「いい!」と応えていたのです。

性格も、考え方も、ビジュアルも、正反対のようでありながら、ひとつにくっついて決して離れないこと。ピンチになってひっくり返っても、相方がいるから助かること。まさに、B.A.Dの関係性を言い当てている表現だと感じました。

「一生、死ぬまでいっしょ」「プラスとマイナスのような、良き理解者」「いっしょにいたら安心する、いて当たり前の存在」…2人ともが、何度も何度も口にするフレーズを裏打ちするような、見事なたとえだと思い、読むたびに感動します。

 

 

もうひとつ、心に残っているフレーズは、2人がラジオで語った、2人の関係を「安売りしたくない」「安くない」という言葉です。ほんとうに大きな衝撃を受けたので、このブログでも、繰り返し触れてきました。

 

淳太くんは、2016年11月のレコメンで、照史の家に行った時のことをリスナーから聞かれた時に、なかなか具体的な話を出さず、村上くんから「ファンは何話したか知りたいのでは?」と促された時に、「だからこそ言わないです」と答えていました。

 

照史は、12月のbayじゃないかで、しげから「B.A.Dでお手紙交換してほしい」と言われた時に、「無理!淳太くんも無理って言うと思う。やるとしたら何かの節目に」と言っていました。

 

そう言いながらも、この頃に2人ともが、お揃いのパジャマを買ったことや、この時の宅飲みで飲みきった照史のお酒を淳太くんが買い直してきてくれたこと、帰りのタクシー代を払ってくれていた照史に淳太くんが惚れ直したことなど、数々のエピソードを披露してくれていました。

それでも「安売り」はしていないのであれば、2人の間には、想像できるよりももっと大切な、素晴らしい時間が、まだまだたくさんあるのだろうな、と思いました。

 

 

24魂にまつわる2人の発言も、心に残っています。

照史はドキュメンタリーのインタビューで、「ジャニーズWESTとしてデビューしても、淳太くんとの関係が、自分の中で中心にあるのは変わっていない」といったニュアンスのことを話していました。

淳太くんはラジオで、「照史と『アメフリ→レインボウ』を歌った時がいちばんグッときた」、雑誌でも「打ち合わせをしなくても、昔と同じところで照史と目が合った」と語っていました。

メンバー全員が涙しても、ひとりだけ泣かなかった淳太くん。でも、「アメフリ→レインボウ」の最後に、照史とアイコンタクトをしていた時、目が潤んでいるように見えたのです。歌い終わった後の2人の表情は、普段ジャニーズWESTとして見ている時の2人からは、決して見ることのできないものだったように感じ、絆の深さを再認識しました。

 

 

 

 

デビュー後の、ごく限られた発言だけを取り上げました。これ以外にも、B.A.Dの関係性をはっきり表している発言は、雑誌やラジオなど、数限りなくあります。私が知らないことも、たくさんたくさんあると思います。

淳太くんと照史は、これからもずっと寄り添って、ますます強くて深い絆を作り上げていくのだろうな、と確信しています。

 

 

 

長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。